ブラジル・サンパウロを拠点とする名門サッカークラブ、SCコリンチャンス・パウリスタ、通称コリンチャンス(正式名称:Sport Club Corinthians Paulista)は、単なるサッカーチームではない。その存在は、都市の文化やアイデンティティと深く結びつき、「庶民のクラブ」として100年以上にわたりブラジル中を熱狂させてきた。
本記事では、FCコリンチャンスの歴史やスタジアム、選手はもちろん、サンパウロ市民との関係性やファン文化まで、総合的にわかりやすく紹介する。

FCコリンチャンスの歴史:庶民のクラブの誕生
S1910年9月、サンパウロ市内で鉄道労働者5人によってクラブは設立された。イングランドから来た名門アマチュアチーム「Corinthian FC」の試合を見て感銘を受け、「誰でも参加できる庶民のクラブを」との想いから生まれたのがコリンチャンスだ。
設立当初から労働者階級や移民層の支持を集め、1914年にはサンパウロ州選手権で初優勝。その後も国内リーグや州選手権で数々のタイトルを獲得し、全国的な人気クラブへと成長した。
2000年にはFIFAクラブワールドカップの初代王者に。2012年には南米最高峰のクラブ大会「コパ・リベルタドーレス」で初優勝し、同年のクラブW杯も制覇。世界的にも「最も成功した南米クラブの一つ」として名を刻んだ。
サポーターに愛されるクラブソングとチャント
コリンチャンスのアンセム「Hino do Corinthians(コリンチャンス讃歌)」は、公式戦前に必ずスタジアムに響き渡る。歌詞には「Timão(クラブの愛称)」や「Fiel(忠誠心のあるファン)」といった単語が並び、クラブとファンの一体感が感じられる。
また「Eu Sou Corinthians(私はコリンチャンス)」など、サポーターが自発的に作り出すチャントも豊富で、試合中にはスタジアム全体が大合唱に包まれる。これらの応援歌は、地域文化やブラジル音楽のリズムと密接に結びつき、コリンチャンスらしさを象徴している。
サンパウロ市民とコリンチャンスの強い絆
コリンチャンスは、「O Time do Povo(庶民のチーム)」という異名を持つ。それは単なるスローガンではなく、クラブの根本的な理念だ。創設当時から、上流階級のためのスポーツだったサッカーを労働者層に開いたことで、社会的な象徴となった。
その多様性ゆえに、サンパウロには階層の分断もあり、豊かな地域とファヴェーラ(貧困地区)が隣り合って存在する。こうした背景から、労働者階級に深く根ざしたコリンチャンスは「サンパウロの下層階級の誇り」として、都市のアイデンティティの一端を担ってきた。特に東部ゾーン(Zona Leste)では、コリンチャンスは単なるクラブではなく、人生そのものとして支持されている。試合の日には、街全体が白と黒に染まり、商店のテレビでは皆が試合を見守る。

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現在のコリンチャンス:成績・選手・クラブ運営
2024–2025年の主なトピック
近年のコリンチャンスは成績こそ安定しているが、クラブ内部では緊張が続いている。
- 2024年シーズン:ブラジル全国選手権で7位に食い込み、国際大会出場圏内を維持。
- 2025年初頭:クラブの経営方針を巡り、サポーターグループが会長アウグスト・メロに対して抗議。内部対立が表面化した。
スター選手たち
- メンフィス・デパイ(元オランダ代表):華麗な足技と決定力で中盤の核。物議を醸す発言も多く、ファンからの賛否が分かれる存在。
- ユリ・アルベルト:チームの得点源。2024年の州選手権では21得点を挙げ、得点王に輝いた。
攻撃的かつ個性的なプレーヤーが揃い、国内外の注目を集めている。

ネオ・キミカ・アレーナ:未来型スタジアム
コリンチャンスのホームスタジアム「Neo Química Arena」は2014年に完成。FIFAワールドカップの開幕戦が行われたことでも知られる。収容人数は約48,900人。名前は製薬企業のネーミングライツによるものだ。
ドイツの建築家ヴェルナー・ゾーベックが設計に関わり、環境配慮型の屋根や最新鋭の視認性などが高く評価されている。
一方で運営面では、試合日以外の日程での収益が課題。施設の多機能活用が今後の課題となっている。

世界屈指のファン文化「Gaviões da Fiel」
コリンチャンスのサポーターといえば、「Gaviões da Fiel(忠誠なる鷲)」という名のウルトラスが有名だ。1969年に設立され、政治的行動や慈善活動、さらにはサンパウロのカーニバルにも参加するほど、社会的な影響力を持っている。
試合の日には、巨大な横断幕(バンデイラ)や発煙筒、太鼓隊がスタジアムを揺らす。彼らの存在感は国内リーグ屈指であり、対戦相手にとっては圧倒的な「アウェー空気」を生み出す要因だ。

横浜とコリンチャンスの知られざる関係
実は、日本の横浜市とコリンチャンスには、意外な接点がいくつか存在する。
2012年クラブW杯決勝の地が横浜
FCコリンチャンスと日本・横浜の最大の接点は、2012年FIFAクラブワールドカップ決勝である。この年、コリンチャンスは南米王者として来日し、ヨーロッパ王者のチェルシー(イングランド)と対戦。試合は横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で行われ、1-0でコリンチャンスが勝利。南米クラブとしての“最後の世界制覇”を成し遂げた。
このとき、ブラジルから約3万人を超えるコリンチャンス・ファンが日本に訪れたとされ、街中で白黒のユニフォームを着たファンがあふれる異様な光景は、横浜の人々に強烈な印象を残した。この遠征は「第二のインヴァザオン(Invasão)」とも呼ばれ、「横浜の奇跡」としてコリンチャンス史に刻まれている。

横浜F・マリノスとの対戦
2000年、コリンチャンスが初代クラブワールドカップ王者となった際、グループステージで横浜F・マリノスと対戦している(試合結果は2-0でコリンチャンスの勝利)。これは日本のクラブと南米の伝統クラブが公式戦で対戦した貴重な事例の一つであり、コリンチャンスにとっても「初めての日本体験」となった歴史的なゲームだった。
日本のファン文化とFielとの共鳴
近年では、日本国内にも少数ながらFiel Japãoと呼ばれるコリンチャンスのファングループが存在する。彼らはSNSを通じて現地ファンと交流を持ち、横浜や東京でパブリックビューイングを開催するなど、静かに“Timão”文化を広げている。また、コリンチャンスの応援文化に影響を受けた日本のサポーターグループも存在し、チャントや横断幕の作り方、応援スタイルに共通点が見られる。
まとめ:コリンチャンスは「クラブ以上の存在」
コリンチャンスは、単なるサッカークラブではない。それは、サンパウロという混沌と活気の街で生きる人々の希望であり、声であり、人生そのものだ。その歴史、文化、スタジアム、そして熱狂的なファンによって、このクラブは「庶民のクラブ」という名にふさわしい存在となっている。2025年現在も、ブラジル国内外でその存在感は健在だ。これからもコリンチャンスは、サンパウロと共に、情熱と誇りを胸に歩み続ける。

